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author
細川又三良 (ほそかわ・またさぶろう)
1972年愛知県生まれ、男性。
art direction & design
Instant Design Works
photograph
matasaburo EXHIBITION |
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| 066.『僕はまだ本当に愛することを知らない』 |
| Date: 2004.04.08 |
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「ねえ、本当に人を愛したことってある?」
先を歩いていた彼女は唐突にそう言って振り向いた。
もう、すでに桜が散り果ててしまった四月下旬の公園。前に彼女と会った時から早くも三ヶ月が経とうとしていた。駅で待ち合わせして、近くにあるイタリアンレストランで軽く食事をしたあと、公園の遊歩道を歩いていた。
「それって、どういう意味?」
「だから、そのままの意味。あなたは今までに本当に人を愛したことがありますか?」
軽く溜め息をついて答える。
「ある……けど」
「うん」
「ない……かも」
「どっちなの?」
「どっちでもないよ。あるかもしれないし、ないかもしれない」
「ダメ、どっちかで答えて」
僕は彼女に追い付くように足を速めた。
「なんで、そんなこと聞くの?」
「いいから、答えてよ」
「だからさ、そんな質問自体がくだらないんだってば」
その場で立ち止まって吐き捨てるように言うと、強い語尾に驚いたのか、
「……ごめんなさい」
と彼女は頭を下げた。
別に謝らせたいわけではなかった。単純にしつこく聞かれるのが嫌だっただけだ。
「――もしも、ないって答えたら、君はどう思うの?」
雰囲気を変えようと半分ふざけたつもりなのに、彼女は黙ったまま何も言わなかった。
「って、冗談だよ。僕は君のことが好き。それは嘘偽りのない気持ち。でも、改めて、それが本当かどうか訊かれると無駄に考えちゃうよ。大体、人を愛するのに本当も嘘もないでしょ。今まで、そんなこと考えたこともなかった」
彼女は思い詰めたように、一拍、間を置いて答えた。
「そうだよね。ごめんね……ありがとう」
ありがとう、という言葉が気になりつつも、これ以上、この話題を続かせたくなくて再び歩き始める。レストランに入る頃、突然、降り出した雨の名残なのだろうか、道はぬかるんで、所々水溜まりができていた。
通り雨、天気雨、狐の嫁入り。
季節はいつの間にか春になっていた。少し前まではコートがなければ寒くて公園なんて歩く気もしなかったのに、最近では長袖のシャツさえ着れば肌寒さすら感じなくなっている。
目の前にある小さな水たまりを跳び越える。ひょい、と着地した瞬間――視界の片隅に彼女が姿が小さく映った。さっきの場所で立ち止まり、じっとこちらを見つめていた。
「何してるの?」
僕と彼女の間には七メートルほどの距離が開いていた。彼女は僕を見つめたまま何も答えようとしなかった。とっさに彼女の足元で輝いていたエナメルの光沢に気付く。
そうか、靴を汚したくないんだ、と散歩を止めて、彼女のいる場所へ戻ろうとした瞬間、
「良かった……」
と彼女は呟いた。小さな声だったがはっきりと僕の耳に届いた。
さっきのことで僕が怒っているとでも思っていたのだろうか。そりゃ、僕は君よりも八歳も年下だけど、でも、立派な社会人なわけだし、小さな事でグズグズと怒ったりしないのにと思った。
しかし、彼女が立ち止まった本当の理由はエナメルの靴でもつまらない僕の意地のことでもなかった。
「良かった、振り向いてくれて。もう、そのまま私を置いて行っちゃうんじゃないかと思った」
「えっ?」と、心の中の疑問符をそのまま声に出した。
まっすぐに僕を見つめる瞳の強さ、彼女は冗談を言っているわけではなかった。静かに訪れる沈黙、頭上では見知らぬ鳥が春っぽい明るい声で鳴くのが聞こえた。遊歩道には僕と彼女の他に歩いている人は見当たらなかった。
「ねえ、さっきの質問、どうして私に聞き返さなかったの?」
「質問って?」
「本当に人を愛したことがあるのかってこと」
そのまま聞き返すのも芸がないな、とは思ったが、きっと彼女はそのままの言葉を僕に求めていた。
「じゃあ、君は本当に人を愛したことがあるの?」
彼女は嬉しそうに微笑んで「うん」とうなずいた。
「いつ? 誰と?」
「今、あなたと」
「へええ、では、本当に愛することってどういうことなのさ?」
「それは……」と言いかけて口をつぐむ。
何か言いたいことがあるのに、口に出せないもどかしい様子。焦らずにゆっくりと彼女の言葉を待つ。
「それはね、今日、又くんと別れても、ずっと愛し続けることができるって思ったから」
ミルクチョコレートのような甘ったるい言葉を期待していたわけではなかったが、予期しないビターな返事に心の動揺は隠しきれなかった。
「いきなり何言い出すんだよ」
そう言い返すのがやっとだった。それに較べて彼女は言い切った自信なのか、さっきよりも随分と落ち着いていた。
「気付いたの、本当に人を愛することって、たとえ、その人が心変わりをして、私を愛してくれなくなっても、ずっと愛し続けることだって。これから、あなたに私よりもずっと好きな人ができて、その人と一緒になって私のことなんて綺麗さっぱり忘れちゃったとしても、誰よりも一番幸せになって欲しいなって思ったの」
彼女の発想の飛躍にとてもじゃないがついて行けなかった。
「本当に人を愛しちゃうとね、他の女の子に取られちゃうことよりも、又くんが傷ついたり病気になったり死んじゃったする方が怖くなったりするの」
「はぁ、だから……?」
「それが本当に愛してることだと思う」
彼女の言葉の裏を読み取ろうとしていた。何かを誤魔化すために、美しくて綺麗な言葉を並べているようにしか思えなかった。
「わからないな――結局、僕と別れたいってことなんだろ? だったら、そんな言葉で誤魔化すんじゃなくてきっぱりと言えばいいじゃん」
彼女は涼しい顔で受け流した。
「ん、だから、違うの」
「何が違うの? 本当に愛しているのならば、そんなに物わかり良く別れられるはずがないよ」
「そんなことないよ」
うつむいて首を横に振る。
「わからない。本当に愛してるのに別れるなんてありえないよ。大体、別れる女に愛してる、なんて言われても嬉しくないね。別れたら、僕にとってその人は過去だよ。ただの想い出。その後、幸福になろうが不幸になろうが知ったこっちゃないよ」
「そっか……そんな風に割り切っちゃうんだ」
「うん、僕にとっては今がすべて、過ぎ去った幻なんか要らない」
彼女は淋しそうに目を伏せたが、次の瞬間、顔を上げて周りを見渡した。
「ねえ、一年前のこと憶えてる?」
僕は返事をしなかった。
「二人でお花見しませんかって、誘ってくれたじゃない」
一年前、今よりも少し早い春の日に、僕は勇気を出して彼女を誘ってこの公園に来た。ソメイヨシノは例年よりも開花が早くて、週末を待たずして散り始めていた。花吹雪の中、僕は彼女に告白した。
好きだと言う気持ちをまっすぐに――。
彼女はイエスともノーとも言わずに、
「せっかく来たんだから、もう少し花を見てからにしようよ」
と笑って、僕の肩についた花びらを手のひらに載せて、ふっと吹いた。
「ねえ、又くん。今はもう散ってしまったけれど、ここには桜の花が咲いていたの。ちゃんと憶えてるよね? 想い出だって一緒だよ、昔のことだから、全部幻だなんておかしいよ。現実にあったことなんだから、現実に私は又くんを心の底から本当に愛していたんだもん」
脳裏に一年前に見た桜が甦る。
「まあ、桜が咲いていたのは事実だよね」
しかし、僕と彼女の距離は七メートルのまま、これ以上、広がることも縮まることもなかった。
「ごめんね、私、今月から、京都にいるの」
「京都……ガリガリメガネのため?」
「あは、そんな風に言わないで、これから私のダンナ様になる人なんだから」
「別れたんじゃなかったっけ?」
小さく首を振る彼女。
「ごめんね、もう、あの人を裏切ることも待たせることもしたくなかったから」
あの夜のことを思い出す。彼女に僕かガリガリメガネを選ばせて、別れの電話をさせたこと。「本当に僕のことが好きなら、今、目の前で彼氏に別れるって言えよ」――学生時代から何年も積み重ねてきた二人の関係を積み木を蹴飛ばすように壊したくせに、彼女の将来を背負うつもりなどさらさらなかった。
「今日はね、忘れ物を取りに来たの」
こんな時にもふざけて、もしかして、俺のこと? と自分の顔を指差した。彼女は苦々しい笑みを浮かべて首を横に振った。
「バッグに入らないよ」
「じゃあ、忘れ物は何だったの」
「愛の告白の返事、してなかったでしょ?」
そう言えば、あの後、強引なキスをしてしまい、彼女のからの返事はもらえていなかった。
「……さてと、私、このまま新幹線に乗って帰るから、ここでお別れしよう。一年前に付き合い始めたこの場所で、ね」
一方的すぎる急展開に僕は言葉を失っていた。
「知ってる? 京都って本屋さんが多い街なんだよ……あなたの作品、読める日を楽しみに待ってる」
顔を上げると、彼女は優しい笑顔を見せて手を振った。
「じゃあね、そのまま前を向いて歩いて、途中で振り返らないでね」
そう言って彼女は背を向けて元来た道を戻っていった。彼女が歩き始めたのを見て、僕も反対側へとぼとぼと歩き出した。途中、約束を破って一度だけ振り返ったが、彼女の姿はもうどこにもなかった。
それから数年が経った現在、もう彼女の顔をはっきりと思い出すことは出来ない。写真を撮られることが苦手だった彼女はレンズを向けてもすぐにそっぽを向き、数少ない写真も公園から帰った後にすべて処分してしまった。
時々、ふと、彼女は今でも僕のことを愛していてくれるのかな、と思う時がある。普段、女なんて現実的な生き物だなんて口にしてるくせに、ナイーブというかロマンティストというか、もしかしたら、いまだに僕の幸せを祈ってくれているのかも、と淡い期待が心の隅に残っていたりする。
今でも鮮明に記憶に残るのは、別れのシーンで彼女が言った、
「ねえ、本当に人を愛したことってある?」
の女性としては低い声の響きだった。
その言葉はそれからもずっと僕の心に居座り続け、女の子と付き合うたびに、その子の横顔をそっと眺めながら「僕はこの人を本当に愛しているのだろうか」と考えるようになっていた。
いくつかの恋愛を経て三十代になっても、答えは日によって目まぐるしく変わった。自信を持って本当に愛してると言える日もあれば、本当は愛していないんじゃないか、と自分を疑う日もあった。
彼女のようにはっきりとした答えが出せないのは、それはきっと、僕がまだ本当に愛することをしらないからではないだろうか――。
(了) |
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