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僕と君と明日のつづき
四畳半ダンディズム
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細川又三良
(ほそかわ・またさぶろう)
1972年愛知県生まれ、男性。

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044.『カンバセイション・パートナー(後編)』
Date: 2006.09.21
 (※『中編』のつづき)

「私、倫子先輩、大嫌いでした」
  僕が質問に答える前に片岡は言葉を重ねた。
「手や足とか片手で掴めるぐらいめっちゃ細くて、身体のラインが綺麗に出るワンピとかとても似合ってて、私と三歳ぐらいしか違わないのに大人の女の雰囲気が漂ってて、いつもどこか淋しそうな目をしてて、男の人が心配すると『ごめん、大丈夫、何でもないの』って薄く笑うところとか大嫌いでした」
  相づちの代わりに声に出して笑う。
「まったく理解できません。あんな女のどこが良かったんです?」
  んー、と唸って、
「なんだろうな、今になっても上手く言えないよ」
と答える。
「それでも私、最初、応援していたんですよ」
「え、誰のこと?」
「先輩のこと、倫子先輩と上手く行けばいいなって」
「知らなかった。そりゃ、ありがとう」
「でも、倫子先輩のこと知れば知るほど、だんだん先輩が可哀想になってきちゃって、いつも不思議に思ってましたから、どうして、あんな二股ペチャパイAカップ女が好きなんだろうって」
  缶をコンクリートの手すりの上に置いて、手を叩いて爆笑する。
  片岡は昔から酒を飲んでも顔色が変わらず、酔いが回ったとわかるのはいつも爆弾発言が飛び出した後だった。
「おーい、せめて、ラウンジに聞こえないように小さな声でしゃべってくれよ」
「聞こえないって。いいじゃん、どうせ本人はいないんだし」
「Eカップの片岡にはまったく歯が立たないけど、Bカップぐらいはあったよ」
「へ? 何で知ってるんです……あ、もしかして……?」
  慌てて手を左右に大きく振る。
「してないしてない、してるわけないだろ。振られたのに」
「……じゃあ、どこで見たんです?」
「そんなの、大体、服の上からでもわかるでしょ」
  軽く答えて、夏の終わり、ある夜のことを思い出す。それは片岡が学祭実行委員会に入る前の出来事だった。
  ふと目を覚ますと、静寂の中に二つの違う呼吸音が聞こえた。うっすらと目を開けると、暗闇に何やら一つの生き物が蠢いている。
  クスクスと静かに笑う声――それは倫子さんの声だった。そして、もう一つ、松尾さんの声。
  すぐに覚醒する。ここは松尾さんのワンルームマンションだった。昨日、学祭の準備で遅くなり、一緒に作業をしていた僕と倫子さんは、松尾さんの部屋に泊めてもらったのだった。この部屋に来ようと言ったのは倫子さんだった。
  小さなおっぱい……Bカップで悪かったわね……いいよ、オレがもっと大きくしてやるって……やめて、んく……じゃあ、ここは?……や、ダメだって、起きちゃうって……ダメじゃないだろ……ヤダってば……。
  風に揺れる白いレースのカーテンの前で蠢いていた一つの生き物は、タオルケットに包まれた倫子さんと松尾さんの姿だった。
  二人の息遣いの感覚が徐々に短くなっていく。寝返りを打つことも動くことも出来ず、当然、目を開くことも出来なかった。重なるまつげの隙間から小刻みに揺れる影が見える。
  やがて、二人は静かに頂点に達すると、倫子さんだけ忍び足で浴室に向かい、シャワーの流れる音がして、その後、何事もなかったかのように床に就いた。
  あの時は見てはいけないものを見てしまった罪悪感が離れなかったが、今、改めて考えると、倫子さんは別として、松尾さんは僕に愛し合う二人の姿を見せつけようとしたのではないかと思った。
  ずっと前から、どうして倫子さんはこんな男が好きなんだろう、と思っていた。
  学祭やサークルにも参加せず、学校も適当に行って、ひたすらバイトばかりして遊びにカネを使っていた。本も読まないし映画などにも興味はなく、倫子さんという彼女がいるのに他の女にちょっかいばかり掛けている。
  悪い人じゃないけれど、でも、良い人ではない。少なくても倫子さんに似合うような男ではないのに――。
  次の朝、松尾さんは「おっ、倫子のこと、よろしく頼むな」と口元に自然な笑みを浮かべながら、メットを被り原付にまたがってバイトに出て行った。
 
「先輩もバカでしたけど、私も大バカでした。他の女の人をあんなにも切なく見つめてる男を好きになっちゃうなんて」
「はは、ホントにバカなやつだ」
「うん、大バカですよ」
「でもさ、片想いって最初は気付かなかったりするんだよな。最初はその人と一緒の部屋にいるだけで、同じ時間を過ごすだけで、ただ、楽しいだけなんだよね」
「そう、そうなんですよね」
「そして、ある日、わかっちゃうんだ。その人がいないと、ふと、淋しい、つまんないって思う自分がいることに」
  こくりと小さくうなずく片岡、うつむいて一面緑に塗られたバルコニーの床を見つめている。
「気付いたときにはすでに手遅れなんだよ。その人の視線の先には別の人がいるのを知っていたのに、振り向いて貰えない片想いだってこと知っているのに――恋する気持ちが暴走し始める」
「そこから、楽しかった時間は地獄へと変わるんですよね」
「……地獄か」
「うん、拷問みたいなものですよ。その人の姿が見えなかったら、どこに行ったんだろう、あの人と一緒にいるんじゃないかって、そんなことばかり考えちゃって」
「一緒にいたらいたで、部屋中の酸素が無くなっちゃったかと思うぐらい、息苦しくなる」
「手を伸ばせば、触れられる距離にあるのに」
「触れてしまえば、すべてが終わってしまう」
「こんなにも近くにいて、いつも見つめているのに」
「その人は自分の気持ちに気付いてくれない――いや、気付かない振りをしてるだけかも」
  楽しい思い出は真夏の日に吹いた爽やかな風のように、すぐに忘れてしまうのに、どうして、切ない思い出はいつまでも真冬に吹いた風のように冷たく忘れることができないのだろう。
  忘れていた痛みが、今、現実のものとして甦る。
  片岡の胸に、そう、僕の胸にも。
 
  その通り、知ってたよ、片岡。
  君が僕に好意を寄せてくれていたこと。
  でも、僕は君を直視出来なかった。君の瞳はいつかの僕の瞳と同じ色をしていたから。
  何で、僕なんか、好きになったんだよ。
  冷たく無関心を装うことが、あの時の僕にできる最大限の優しさだった。
 
  キスをしなかった理由――。
  学祭の期間中、僕と片岡が作業をしている途中、ふと、倫子さんが現れて、片岡がポスターをクラブハウスを取りに行った後ろ姿を見つめながら、
「夏希ちゃん、良い子よね、又くん、付き合っちゃえばいいのに」
といつもながらの無邪気で無神経な発言をしたからだった。
  あの言葉さえなければ、キスはしていたのかもしれない。
 
「学祭の後の片岡は冷たかったな」
「女ですから、現実的ですよ。誰かさんみたいにいつまでもウジウジと感傷に浸ってるわけにはいかないんです」
「何も実行委員会を辞めなくても良かったのに」
「好きな人を忘れたかったら、好きな人を見なくするのが一番ですから。殺しちゃったんです、後夜祭の夜に――」
  僕も片岡も押し黙る。
  首を伸ばしてプロムナードを見る。先ほどの、女の子にちょっかいを掛けていた男子学生は、お目当ての彼女が先輩らしき男と楽しそうに話しているのを離れた場所から見つめていた。
「で、その後に、水曜日の佐藤ちゃん、と付き合ったんでしょ?」
「へっ、水曜日?」
「ゼミの日、水曜だったろ。片岡がゼミが終わってからクラブハウスに来る時、いつも佐藤ちゃんが隣にいた」
「先輩知ってたんですか? 佐藤のこと」
「知らなかったけど、ある日、そいつが『オレ、片岡と同じゼミの佐藤って言いますけど、先輩、気がないなら、夏希のことちゃんと振ってやってくださいよ』と言いに来たんだよ、わざわざ」
「ええええええええ」
「お前、何を相談してたんだよ。すっごい真剣な顔で『オレ、これ以上、元気のない夏希を見てられないんです』だってさ」
「……全然、知らなかった」
「勇気あるなって思ったよ。そういう真っ直ぐで強引で素直なところが、片岡の傷心のハートをズドンと射止めたのかもな――僕にはできないことだよ」
「でも、結局、友達でした。すごく好きでいてくれたし、優しかったけど、ん、やっぱり、私にとっては仲の良い男友達でした」
「うわー、切ない片想いだな」
「それ、先輩が言うセリフじゃないっしょ」
「そうなんだけどさ」と言って、お互い意味もなく笑い合う。
  その時、ラウンジから僕たちを呼び声が聞こえた。
「なんか呼んでる」
「そろそろ、ビンゴか記念撮影が始まるんじゃない?」
  僕と片岡は空になった缶を持ってラウンジに戻った。ラウンジでは皆一堂に集まって記念撮影をした。
  記念撮影をした後、回りを見渡すと片岡の姿はどこにも見当たらなかった。
 
  数日後、今回の同窓会の幹事を勤めた井上美和から電話があった。彼女は一学年下で片岡と同じ学年だった。
「じゃあ、今度引っ越す時はちゃんと連絡くださいね」
「はい、親切にどうもありがとう」
「あ、あと、先輩、ずっと夏希と話してましたよね?」
  やっぱり、ラウンジで噂されていたのかな、と思う。
「久しぶりだったからね、積もる話がたくさんあったんだよ」
「夏希もねー、大阪の弁護士さんと結婚する予定だったのに……婚約破棄になっちゃって、先輩、何か聞きました?」
  一瞬の間を置いて、
「いや、何も聞いてない」
と正直に答える。
「そっかー、誰にも何も話してないんで、きっと先輩なら、いろいろ話したと思ったのにな……」
  井上から電話を切った後、送られてきた同窓会の封筒を探して封を切って、名簿を開き、片岡夏希の名前を探した。そこに書かれている電話番号を携帯電話に打ち込んで、通話ボタンを押そうとした瞬間に、我に返って、ピッと通話をオフにした。
 
  あの時、片岡は何も話さなかった。
  僕に話したくないことかもしれないし、聞かれたくなかったのかもしれない。
  どちらにしろ、片岡は何も言わなかったのだ。
 
  片岡が伝えたかったのは、随分と遅れた愛の告白だけだった。
「私、あの頃、先輩のこと好きだったんですよ」
  そう自分で呟いてみて、一人でニヤニヤを笑う。
  そして、ふと考える。あの頃、告白されることと、この前、告白されたこと、果たしてどちらが僕と片岡にとって幸せだったのだろうか、と。

 (了)
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