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僕と君と明日のつづき
四畳半ダンディズム
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細川又三良
(ほそかわ・またさぶろう)
1972年愛知県生まれ、男性。

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030.『君に読ませたくない物語』
Date: 2006.08.24
「あなたの書いたもの、読ませてくれる?」
  小説を書いている者ならば、一度や二度、付き合っている彼女にこんな事を言われたことがあるに違いない。
  喜んで読ませる人間もいれば、絶対に読ませない人間もいる。どちらかが良いなんて一概には言えない。読ませる相手や書いている小説のジャンルによっても対応は異なるだろう。
  僕の場合、
「本当に読みたい? 恐ろしいことになるよ」
と脅しておく。
  冗談ではなく、本気の言葉だ。
  身内の安易な称讃なんてまったく自信にならないし、的外れの評論は神経を苛立たせるだけだし、小説の内容を語ることで隠されていた二人の価値観の相違が露わになってしまうかもしれない。
  それを全部、引き受ける覚悟と責任があるなら、読ませてあげるよ、と。
 
  彼女たちの多くは軽い気持ちで言っただけで、そこまで脅されてしまうと、「ん、じゃあ、今回はやめとく」と引いてくれる。
  ややこしいのは引かない彼女だ。
「大丈夫、私も本気だから」
  理緒もそんなタイプの女の子だった。まったく、口先だけなら何でも言えるよな、と強い口調で言葉を返す。
「あのね、推敲中の小説を人に読ませるのは、全裸を見せるぐらい恥ずかしいことなんだよ」
「わかってる」
「じゃあ、何で、そんな簡単に言えるの?」
「だって、どんな作品でも又さんの小説が読みたいから……あと、力になれないのわかってるけど、力になりたいから」
  真っ直ぐな理緒の視線に心が揺れ動いているのはわかっているのに、素直になれない自分がいる。
「口だけなら何でも言えるよ」
「口だけじゃないよ、憶えてる? 又さんとの最初のデートで、裸の写真を撮らせてくれって言ったよね。あの時、私、本当は恥ずかしくて、絶対無理だと思ったんだよ。でも、裸を見せたのはどうしてか分かる?」
  押し黙ったまま、理緒から視線を外す。
「又さんに私を見て欲しかったから。他の誰よりも私は本気なんだって、又さんに伝えたいからだったんだよ」
  口の減らない女め、と憎まれ口をつい呟きたくなるが、理緒の気持ちの強さに、僕の心は負けていた。そう、内心、とても嬉しかったのだ。
  執筆中の小説は何度も推敲を重ね、煮詰まりつつあった。この段階で必要なのは、文字校正も含めて他人の視点だった。つまり、このタイミングで理緒が言い出したのは渡りに舟だったのだ。その時、僕が優先すべきなのは男としてのプライドや羞恥心ではなく、小説家としての意思だった。
  わずかな沈黙の後、僕は姿勢を正して、理緒に向かって頭を下げた。
「わかりました。お願いします、読んでください」
  理緒の覚悟とその気持ちで読んで貰えば、きっと、この作品はさらに良くなるに違いない――そんな確信を抱かせるほど、理緒の瞳は揺らぎが無かった。
 
  小説作品を読んで感想を述べる際に、いくつかの決まりを提示した。
1)小説を読む前に、自分が好きな小説のベスト10ないし5を書いてメールで送ること。
2)評論家気取りではなく、素直な自分の感想を述べること。主観的に好き嫌いを書いても良い。
3)読み終えたら、文字校正をすること。修正箇所を原稿内にマークすること。
  都内の四大に通う理緒は文学部では無かったが、とても優秀な読み手だった。学生という身分で時間があったのか、理緒の感想は文字校正と共に一週間ほどで返ってきた。
「私、この人大好き」、「ここの風景はわかりにくいです」、「もっともっとこのシーンが見たい」、「セリフがちょっと合ってないです」、「私なら、すぐに告白しちゃうのにー」など、苦笑しながら読む。理緒の感想は参考になるならない以前に、物語の世界にどっぷりと浸かっていて面白かった。
  当然、納得できない指摘もあって、すぐさま理緒に電話をすることになる。小説家にとって、小説は生まれたての赤ちゃん。親バカもあって感情的に声を荒げてしまう。
  理緒も負けずに言い返してきて、お互いに「もういいよ」と半分喧嘩腰で電話を切ることになる。しかし、一晩過ぎれば、冷静に理緒の視点も理解できるようになり、素直に修正に応じることになる。
  理緒は文字校正も手を抜かずにきちんとやってくれていた。
  明かな誤字脱字には×の印と正しい文字を、解釈に迷う部分は、きちんと辞書で調べて意味を添えてくれていた。自分ってこんなミスが多いのか、と反省しつつも、丁寧な理緒の仕事に感謝をしていた。
 
  そして、半年後、僕と理緒の編集作業はそれなりの結果を残した。
  原稿用紙百枚程度の短編の新人文学賞で、一次選考と二次選考を通過したのだ、一千通近くの応募から一次が三十作品、二次が八作品だから、小説としてきちんと成り立ったものだとプロの編集者と出版社が認めてくれた証拠だった。
  すでに結果は知っていて、理緒にも伝えたのに、二人、久々のデートで真っ先に近くの書店に立ち寄って選考結果が掲載されている文芸誌を開く。
  タイトルと都道府県名、そして、又三良と名前が続く。
「やったぁ!」
  静かな店内に理緒の声が響く。周りの人間の視線が小さくガッツポーズする理緒に集まった。
「おいおい、結果、知ってるだろ?」
「うん、でも、ちゃんと活字になってるのを見て、思わず、声が出ちゃった」
「しかし、最終には残れなかった」
「でも、最初で二次を通過したんだからさ、千里の道も一歩から、ローマは一日にして成らず、豚もおだてりゃ木に登るってね」
「はは、そうだね、静かな自信にはなるよ」
  理緒は文芸誌を僕の手から取って、レジに向かった。
「私、レジの人に、ここに彼の名前が載ってるんですって言っちゃいそう」
  レジを待つ人の列に並びながら、理緒は顔いっぱいにはにかんで見せる。
「やっても良いけど、それはいつか文学賞を受賞した時にしてくれ」
  嬉しかったけど、やはり、敗北感もずしりと響いていた。そんな僕を励まそうとして、理緒ははしゃいでいたのかもしれない。
 
  それから、二ヶ月も経たないうちに、僕と理緒は最後の言葉をどちらが口にするかという状態に陥ってしまっていた。
  原因はいろいろだった。大学の先輩と二人きりで夜を過ごしたことを僕に言わなかったこと、彼女の就職活動が不調で僕の一言が彼女をひどく傷付けてしまったこと、携帯に出ない日が続いたこと、それについて、きちんとした説明がないと怒ってしまったこと――。
  二人の関係の終わりが決定的になった夜。
  僕は理緒に次の作品を送っていたことを思い出した。すでに僕の心は憎悪という悪しき感情が占拠していた。
  言い争った電話の後、すぐにリダイヤルをする。
  努めて事務的に冷たい突き放した口調で、作品の感想・校正作業を即座に打ちきって欲しいことと、過去の作品を含めて、テキストデータをすべて消去するように理緒に伝えた。
  理緒は無言でそれを聞いて、僕が言い終わった後に、
「……イヤ」
と小さく言った。
  この作品は僕の個人的な体験がきっかけとなって生まれた作品だった。こういう話が書きたいんだよね、と構想を漏らすと、理緒は登場人物の女性に深く感情移入をして、キャラクターの性格付けに有益なアドバイスを与えてくれた。
  今までに送っていたのは前半部分で、理緒は後半部分の完成を誰よりも期待して待ちわびていた。
  僕はそのことを充分に知っていた。
 
  すでに剣を鞘から抜き、狙いを定めて、彼女の胸を貫き通そうとしていた。
 
「勘違いしないで欲しいんだけど、前の作品を含めて別に君じゃなくても良かったんだよね、ちゃんと読んでくれる人だったら、誰でもいい。君のアドバイスも参考になった部分はあるけど、実はそうじゃない部分も多かった。結局、僕は今までもこれからも誰の力も借りず、自分自身の力だけで作品を書き上げるしか無いんだよね」
  無言の受話器からわずかに震えるような息遣いが聞こえる。
「……あと悪いけど、正直言って、この作品は君みたいな人間には読んで欲しくないんだ。人を裏切って何とも思わない人間が読んで面白いと思える価値はない。そう、この作品は、君に読ませたくない物語なんだ」
  そう言い切って、理緒が小さく息を吸い込んだタイミングで電話を切る。
  ふう、と大きく息を吐いて、携帯をベッドに投げ捨てる。そして、ザマアミロと唇だけで呟き、あはははと自虐的に大笑いして、パソコンを操作して、書きかけのテキストファイルを『過去の未完作品』のフォルダに追いやって電源を落とした。
 
  そして、数年後。
  僕は未だに新人文学賞が取れずに商業小説家としてデビューできないでいる。次に応募する文学賞を決めて、それに合う内容の作品を探していると、ふと、昔の作品の中からぴったりなものに当たった。
  それは、かつての恋人に告げた、読ませたくない物語だった。
  改めて読み返すと、文体も定まらず、描写も甘く緩く、物語も所々綻びているが、作品全体に真っ直ぐに貫く何かがあった。
  気が付くと、夢中で改稿している自分がいた。
  あの頃見えなかったもの、彼女だけが感じていたこと、そして、今、僕が誰かに伝えたい想い――今なら書けるし、今こそ書かなければならなかった。
 
  この作品は一ヶ月で書き上げ、同じ時間を推敲に費やし、そして、某文学賞に応募した。
  結果は最終選考には残れず、その一歩手前で夢破れた。
  あまりにも個人的な話でそこが評価されなかったのだろうと分析するが、それは選考する側の判断、仕方がないとしか言いようがない。
  しかし、僕は必ず、この作品を世に出してみせる、と誓った。今どこで何をしてるかもわからないかつての恋人のために。
  そう、君に読ませたくない物語を、いつか、君が手に取ってくれることを信じて。

 (了)
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