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僕と君と明日のつづき
四畳半ダンディズム
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細川又三良
(ほそかわ・またさぶろう)
1972年愛知県生まれ、男性。

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022.『お姉さんの背中』
Date: 2006.05.23
 ベッドを抜け出てTシャツと下着を身につけて、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出そうとして、ふと、立ち止まる。そのままシャワーの音が鳴る浴室に近づいてドアノブを握り締めてゆっくりと右に回して開く。
  そっとドアの隙間から、彼女の華奢な背中を見つめる。
  乳白色の白熱灯の下、長い髪を後ろにまとめて、シャワーから出るお湯を浴びている。僕はその場に静かにしゃがみ込んで、視線を投げ続けた。
  急に、ハッと振り向いて、ドアが開いていることに気付き、キャッと声を上げる彼女。
「な、何してるの?」
  僕は立ち上がって、苦笑いして首を横に振る。
「いや、何でもないよ、ごめんごめん」
  そそくさと浴室から退散して、軽くダイブする感じでベッドに寝転がる。あお向けになってラブホテルの天井を眺めながら、遠い記憶に思いを馳せる。シャワーの音、ドアの隙間、お姉さんの背中――振り向いて僕を見つめたのは、あの時のお姉さんではなく、さっきの驚いた表情の彼女だった。
「あんなこと、いつもしてるの?」
  浴室から戻った彼女が僕に言う。バスタオルを巻いて、ベッドに腰掛ける。
「あんなことって?」
「覗き」
「ううん、してない」
「私の裸、そんなに見たかった?」
「さっき、上から下からたっぷり見せてもらったよ」
  そう言って上半身を起こして、後ろから彼女の身体を抱く。
  細い腰に腕を回して、頬を彼女の首筋に擦りつける。鼻を鳴らして彼女の匂いを吸い込む――優しくて、清潔で、どこか落ち着く匂い。
「なんか、変だね、又さん」
 彼女の背中にキスをするだけで返事をしない。
「シャワーを覗いたり、甘えてきたりして……セックスの後、男の身体は女を求めないんでしょ?」
「そう言うね、次の弾が充填されるまでね――」
「シャワー浴びたばかりなのに、もうしたくなったの」
  ううん、と首を横に振りながら、唇を彼女の肌に擦りつける。
「それ、くすぐったい」
「ただ、こうしていたいだけだよ、悪い?」
  四つ上の彼女に拗ねた口調で甘える。
「別に悪くないけど、ちょっと、シャワーを覗いてる時の表情が気になっちゃって」
「どんな表情してた」
「んー、なんだろ、どこかとても悲しいの」
「鋭いな――ミカは」
  あ、わかっちゃった、と小さく呟く彼女。なにが? と耳元で囁くと、
「別れた彼女のことを思い出しちゃったんでしょ?」
と首を後ろに回した。
「嫉妬する?」
「うん、嫉妬する。自分と会ってるのに他の女を思い浮かべるなんて、それも昔の女って最低じゃない」
「そうだね、ごめん。でも、元カノとかじゃない」
「じゃあ、誰?」
「――お姉さん」
「へっ、又さんってお姉さんいたんだっけ?」
「違う違う、うちは三人、男だよ」と言って、フットワーク良く立ち上がって、冷蔵庫に向かって飲もうと思ったミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。フタを回して、一気に半分ほどラッパ飲みして彼女に手渡す。
  彼女は水を飲もうとして、ふと思い留まり、僕の手からフタを取って、サイドテーブルにボトルを置いた。
「今から、ずっと昔、僕が小学生の頃、家の近所に遠縁の親戚が住んでいたんだよ。良くそこの家に行ってね、そこのお姉さんに遊んでもらってたの」
「なあんだ」
「ほら、嫉妬して無駄だったでしょ?」
  彼女の隣に腰掛けてわざとらしく笑ってみせる。
「ううん、話次第で嫉妬しちゃうかも」
「まあ、大体、想像が付くと思うけど、ある日ね、その家に遊びに行くと、家の人が誰もいなくて、勝手知ったる他人の家じゃないけど、ジュースでも飲もうと思ってさ、台所に行ったわけ、すると、隣の浴室からシャワーの音と、あと何だろう、鼻歌なのかな、お姉さんの声が聞こえたんだよ」
  うん、とうなずく彼女。
「何を思ってたんだろうね、ドキドキしながら、脱衣所の戸をそっと開けて入っちゃったの。カラーボックスの上にバスタオルとブラやショーツがあってさ、磨りガラスに肌色のシルエットが見えるわけよ」
「わー、危ない」
「危なくないだろ、まだ小学生だよ……あー、でも、あれは確実に性的興奮だったね。まだ精通はしてなかったけど、全身が震えるような興奮があったのは憶えてる。で、浴室の戸に手を掛けて、ゆっくり開けてみたんだ」
「お姉さん、いくつだったの?」
「女子大生だと思う、二十一ぐらいかな?」
「おっぱい見ちゃった?」
「いや、背中――さっきまではまったく記憶にも無かったのに、ミカの背中を見た途端、今の記憶が甦ってきたんだよ。おかしいね、お姉さんの顔はおぼろげなのに、その背中だけはっきりと憶えているんだ」
「私の背中を見て?」
「うん、本当にそっくりなんだよ。無意識のうちに右手で股を握って、その場で座り込んで見てた。すると、お姉さんが、さっきの君みたいに声を上げて驚いたんだ」
「そりゃ、驚くでしょ」
「でね、片手で胸を隠して『エッチ』って言って笑ったんだよ。ただ、それだけの想い出なんだけどね」
  彼女は嬉しそうに笑って、足をブラブラと上げる。
「初恋の人ってことか」
「んー、そうじゃないね。何に例えたら良いんだろう、えっと、あ、そうだな、『銀河鉄道999』のメーテルみたいな感じじゃないかな。近くにいて異性も感じるんだけど、あの頃の自分では触れることの出来ない年上の女性、少年時代の永遠の憧れ」
「そっか、どう? 憧れのお姉さんを犯した気分は?」
「止めてくれよ、ミカはお姉さんじゃないだろ。それに僕は犯してない」
「……ミカっていつの間にか呼び捨てにしてるし、最初は斉藤さんって呼んでたくせに。私が結婚してるって知ってたのに、強引にキスしてきたのは誰かしら?」
  ふん、と鼻で笑って、腕を伸ばしてペットボトルを取る。フタを回して、残ったミネラルウォーターをすべて飲み干す。
  別居の理由について、彼女は一切、僕には関係ないと言い切った。「ちょうど、タイミングが良かったんだよ」と誤魔化すように笑うだけで、ちゃんとした理由も告げることはなかった。
  それは僕に無駄なプレッシャーを与えたくないための言っているのか、それとも本当に僕の存在など関係ないのかわからなかった――どちらの答えにしても、胸の奥にしこりのようなわだかまりが残るような気がした。
  一度だけ、彼女のダンナさんを見たことがあった。まだ、斉藤さんと呼んでいた頃、プロジェクトメンバーと一緒に行ったレストランの帰り、路肩に停めてハザードランプが点灯していたフォード・エクスプローラー。二次会に誘おうと思って、彼女に近づく肩越しに、運転席から車道に降りた彼の姿を見えた。
  穏やかな目をしたのっぽな人だった。
  ミカに声を掛ける直前に、僕に向かって小さく頭を下げた。そのダンナの視線でようやくミカも僕に気付いて振り向いた。短い自己紹介の後、車に乗る二人。「じゃあね」と僕に向かって軽く手を振って、パワーウインドウが閉まった後に、二人の間に交わされる言葉の聞こえない会話。
  ペットボトルをゴミ箱に放り捨てて、再び、後ろから彼女の背中を抱き締める。さっきよりも力を入れて、彼女の柔らかい肌に歯を立てる。
「いたっ、痛いってば」
  構わずに、甘噛みを止めない。
  それから数年後――お姉さんは学生時代から付き合っていた彼氏と婚約する。少し頼りなさそうだったけど優しそうな背の高い、彼女よりも一歳上のサラリーマンだった。
  しかし、突然、婚約は破棄される。当時、僕はその理由を聞くことは出来なかったが、運転中に漏れ聞こえる父と母の会話で、花嫁修行中にお姉さんが自動車学校に通っている時に、そこで出会った教官の妻子持ちの中年男性に惚れてしまい、駆け落ち同然で家を出たことを知った。お姉さんのお腹には子供が宿っていたと言う。
  それからの話は、僕は知らない。
  じっと黙りこくった僕に、彼女はふと振り向く、一瞬、お姉さんの話をしようと思ってすぐに諦める。彼女に話さなかったのはミカとお姉さんの印象を重ね合わせることへの不快感ともう一つ別の理由があった。
  知らぬ間に時計は六時を過ぎ、この部屋を後にする時間が近づいていた。彼女の背中に頬を寄せながら、いつ立ち上がろうか、じっとタイミングを狙っていた。

 (了)
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