RGB
このサイトについて
僕と君と明日のつづき
四畳半ダンディズム
connection
favorite お気に入りに入れる
e-mail メールを書いてみる
Windows Live Messenger メッセで話してみる
author
細川又三良
(ほそかわ・またさぶろう)
1972年愛知県生まれ、男性。

art direction & design
Instant Design Works

photograph
matasaburo EXHIBITION
caution
※当ウェブサイトはリンクフリーです。リンク等に関して 許可申請やリンク報告などの必要はありません。

※収録された小説作品はすべてオリジナルです。エッセイは一部事実を元に構成されたフィクションです。

※文章や写真の無断転載無許可使用など、及び画像データへの直接リンクは一切禁じます。

subscriber
総購読数
(2002.05.20〜現在)

 
001.『四畳半ダンディズム(reprise)』
Date: 2006.04.01
 いつの頃か、いつでもどこでもメモ帳を手放さなくなった僕に、むくれた顔で彼女が言った。
「ねえ、この前から、一体、何を書いてるわけ?」
「へっ?」
  突然の質問に驚いて、慌てて隠すようにメモ帳を閉じてしまう。そんな行動がさらに彼女に怒りに拍車を掛けてしまった。じっと、僕を睨み付けて、視線が合った瞬間に目を逸らす。
  わずかの沈黙の後、
「……又さんがそれを書いてる時、私は何をしてればいいの?」
と彼女はポツリと呟いた。
「えっ、うーん、本でも読めば?」
  苦し紛れにそう答えると、
「あっそ、じゃあ、デートの時は必ず最初に本屋さんに寄ってよね」
と冷たく返事が返ってくる。
  心の中で舌を鳴らす。確かに彼女を放っておいてメモ書きに夢中になってしまう僕も悪いんだけど、そんなに嫌みっぽく言わなくてもいいのにと思った。彼女が言うままに最初に書店に立ち寄ったらたぶん彼女は激怒するに違いない。かといって、メモを取らないことも出来ないし、やはりここはちゃんと理由を話して理解してもらうことが一番だろう。そういうわけで最初の質問に立ち戻る。
「何を書いているのか気になるわけ?」
「一、二度ぐらいだったら、気にならないよ。でも、ここ最近、ずっとだよ……当然、気になるに決まってるじゃん」
  彼女がそんな風に思っているなんて今まで考えてもいなかった。
  少し前から、僕は焦りに似た気持ちで輸入品のステーショナリーショップでメモ帳を購入して、時間があれば頭の中に思い浮かんだことをひたすら書き連ねていた。
 
「いつの頃から、大切なこと、忘れちゃいけないこと、忘れたくないことを、スッと思い出せなくなっちゃったんだよ」
  静かに語り始めた僕に、彼女は顔を覗き込むようにして訊いてきた。
「何か、仕事でミスでもしたの?」
「いや、仕事じゃないんだ。仕事は相手があることだし、プレッシャーもあるから、重要なことはほとんど忘れない。そうじゃなきゃ、仕事にならない」
「うん」
「僕の言いたいことは、仕事で重要なことじゃなくて――もっと、大切な何かを忘れることが多くなっていったんだ」
  彼女はキョトンと僕を見つめたまま、頷かなかった。
「……だから、えっと、夜、寝る前にふと、朝、通勤の電車の中で何かをとても大切なことを想ったような気がするんだけど、あれは何だっけ? と思い出そうとしても、どうしても浮かんでこないんだ。それならまだ良い方で、さらにひどくなると、朝に何かを想ったことすら思い出さずに、疲れて眠るようになったんだ」
  反応が鈍いのは顔の動きでわかる。さっきから彼女の顔は縦にも横にも動いていなかった。もっと、ちゃんと説明したいのに上手く言葉が思い浮かばない。
「ん、よくわかんないんだけど、結局、その大切なことって何?」
  大切なこと――それはこの世の中のあちこちに転がっていて、目に見えているのに、気付かなければ目の前を一瞬に通り過ぎてしまうもの。
「な、なんだろう。例えば……えっと、君が温かい飲み物を飲む時、両手でカップを覆うように飲む仕草がたまらなく可愛く見えたり、あのショートヘアの店員さんの気配りと笑顔がこのカフェを支えている真実とか、さっき見た東急東横線の高架のコンクリートのヒビがやたらと美しく見えたり、とか……」
  頭の中のフラッシュメモリーに残っている記憶を口にするが、どうも何だかしっくりこない。
「ふうん、それが大切なことなんだ」
「うーん、たぶん、僕にとってはね」
「なあんだ、そんなことか」
  聞いておいて「なあんだ」は無いだろうと思うが、確かに彼女が言うように「そんなこと」なのかもしれない。
「なんか、もっと、大袈裟なことかと思った」
  彼女はそう付け加えた。笑う彼女に釣られるように僕も、ははは、と口先で笑ってみせる。大切なことと言う割りには、憶えていても忘れてしまっても、人生の大した影響は与えないことばかりだった。

「じゃあ、私にも見せてくれる?」
  満面に笑みを浮かべて彼女は言った。
「何を?」
「だから、それ」
  見せられない見せられるわけがない。メモ帳を手に持って、そそくさとバッグの中にしまい込む。
「イヤだよ」
「どうして?」
「僕のことだけだったらいいけど、他の人のこともいろいろと書いてるしね」
「ふーん、私のことも」
「うん、もちろん」
「あ、そこだけでいいから、抜粋して読ませてよ」
  女はどうして危険を顧みずにこんな事を言うのだろう。僕が綴る事実は彼女が期待する真実とは違う可能性があることを考えてもいないのだろうか。
「ダメだって、日記みたいなものだから、人に読ませるものじゃない。それに読んだら読んだで傷付くかもしれないよ」
「うわっ、そんな悪口ばっかり書いてるんだ」
「そうじゃない、そうじゃないけど、読まれることを意識して書いてるわけじゃないから、不用意に傷付けちゃうかもしれないでしょ」
「んー、でも、読みたいんだもん」
  その気持ちわからないでもない。きっと、僕が彼女の立場なら、読みたい読みたいと駄々を捏ねることだろう。しかし、やはり、読ませるわけにはいかない。第一、このメモには言葉の羅列だけで他人から見てわかるような文章になっていないのだ。
  彼女の性格から素っ気なく断っても引き下がらないような気がして、言い方を少しだけ工夫する。
「わかった、読ませてあげるよ。ただし、二人が別れる時にね」
  恨めしそうな目つきで僕を見て、口をへの字に曲げる。ざまあみろ、と目だけで笑ってみせる。
  そう、この時は、さようならが現実になるとは考えてもいなかった。僕の言葉を忘れずに彼女が憶えていたことも含めて――。
 
  その電話の向こうには別の男の匂いや何か心変わりを表すような大きな出来事も感じられなかった。
  それなのに、彼女は突然、僕との別れを決意した。
  四月の初旬、ソメイヨシノの満開宣言は先週の週末に出され、今週に入りすでに桜の花は散り始めていた。思い起こせば、彼女を最初に意識したのは去年のグループ会社の総出で開催された花見大会だった。グループ全体の代表幹事が彼女で、僕はジャンケンで負けて送り出された幹事だった。
  初めて彼女の手に触れたのは宴会が終わってブルーシートと畳む時だった。彼女の細く長い指を僕の手が包み込んだのは、偶然でも間違いでもなかった。そのことを彼女は今でも憶えているのだろうか。
  電話での別れ話、彼女は直接会って話したいという僕の申し出を断った。顔を見せればお互い辛いだけだよ、と言うのがその理由だった。単純に彼女が会いたがらないのは、別れの原因を問い詰められて、やり直そうと言われて断るのが面倒だからなのだろう。
  二時間近く粘って、ようやく彼女は会うことに同意した。
「わかった、そんなに言うなら会おうよ……じゃあ、又くんもあの約束を果たしてよね」
「あの約束?」
「うん、ノートを見せてもらう約束。もう忘れちゃった?」
  僕はもう何を隠す必要も無かった。二つ返事で了解して、土曜日の午後に予定を入れる。
 仕事を終えて電車で帰る途中にメモに書いたことを読み返す。彼女に関係がある事柄を抜き出して読みやすいように文章にまとめる。九つぐらいの文章になって、 それをA4のレポート用紙に書いていった。
  彼女の良いことも悪いことも書いてあった。復縁を求める僕としては出来るだけ ネガティブな文章は避けようと思ったが、良いことばかりの文章ではリアリティも無いし、本当に彼女を愛しているならば、長所も短所もひっくるめて正直に書いた方が気持ちが伝わると考えて、全部見せることに決めた。
  桜の花びらが舞う風の強い午後。僕は中目黒の駅で降りて、目黒川沿いにあるカフェに向かっていた。
  デートにはいつも遅れてくる彼女がすでにそこにいた。春らしい白いハーフコートがほっそりとした彼女の身体にとてもよく似合っていた。
  顔を見合わせれば、感情のわだかまりを抑えてとりあえず微笑んでしまう。彼女もそれに応えるように笑顔を見せ、その表情にほんの少しでも気持ちが残っていれば何とかなるのでは、と期待が膨らんだ。
  何から話そうか、と考えていると、彼女は右手を伸ばしてきて、
「読ませて」
と言った。
  戦略を練っていたわけではないが僕も話の順序を考えていた。まずは彼女の心変わりの理由を聞いてから、それから今の僕の気持ちを伝え、そして、それを証明するかのように文章を読ませようと思っていた。
  躊躇う僕に、彼女は、
「ごめんね、あんまり時間がないの」
と力無く笑った。
  彼女の意のままに、最初から切り札を切ることに釈然としなかったが、会おうと無理を言ったのは僕の方で彼女の都合に合わせなければならなかった。僕はむしろ最初に文章を読ませてから、やり直そうと話した方が良いのかもしれないと思い直して、バッグから二つ折りにしたA4のレポート用紙を彼女に渡した。
  そして、席に座って、ウェイトレスを呼んでホットコーヒーを頼んだ。彼女は正面からの僕の視線を避けるように身体の向きを変えて読み始めた。自分の書いた文章を目の前で読まれる照れくささを感じて、僕もまた彼女とは反対側に身体を向けて読みかけの文庫本を開いた。
 
  ふと、気が付くと、彼女は鼻を啜り目には涙が滲んでいた。
  そんな表情を見るのは初めてのことで戸惑うと同時に気持ちが彼女の胸に届いた、と嬉しく思った。
「大丈夫?」
  そう声を掛ける僕に彼女は胸に手を当てて言葉を詰まらせた。急かさないように黙って彼女の言葉をじっと待つ。彼女はレポート用紙を手に持ったまま、何度も、うんうんと頷いて、
「……すごく、面白かった」
と続けて、
「あの時、又さんが言っていた大切なこと、が少しだけわかったかもしれない」
と自らに呟くように言った。
  それから、彼女は堰を切ったように話し始めた。
  心変わりは大学時代から付き合っていた元恋人が原因だった。彼女に何も告げずに転職したことによって二人の関係がこじれ、心が揺れ動いている時期に僕と出会った。
  ライトアップされた代々木公園の夜桜、ピンクの花びらがひらひらと地上に舞い落ちて、その下で顔を真っ赤にして大騒ぎをしている同僚たちの姿が甦る――その中で彼女も缶ビールを片手に笑顔ではしゃいでいた。そして、缶ビールのお代わりを取りに行こうとに席を立った時、一瞬、彼女の表情が目に止まった。
  どこか一点を見つめる瞳が切なくうつむいて、その表情と直前にはしゃいでた姿とのギャップが僕の心を奪った。
「あの夜だけだったの、あんな風になっちゃったのは……」
と彼女は語り続けた。
  咲き誇る桜の美しさと散りゆく儚さ、会社を去る人と新しく加わる人が行き交う季節、そして賑やかな祭の後の静けさに、思わず感傷的になり、後片づけの後、僕の掛けた言葉に思わず身を委ねてしまった。
  僕との関係を続けながらも気持ちはいつも別の場所にあった。徐々に僕に対して悪いと思うようになり、自分もまた罪の意識を感じていた。そして、一度は彼との別れを決意したものの、再び、彼を信じようと心を強く持って、僕との別れを決断したということだった。
 
  彼女の言葉を冷静に客観的に受け取れるほど、僕は大人ではなかった。
  僕の目には彼女は自分の淋しさを紛らわせるために、ただ僕を利用しただけとしか映らなかった。そんな身勝手な理由に対して、僕は激しく彼女を責め立てた。
  もはや僕にも、再び彼女とつき合うことは叶えられそうにないことはわかっていた。ならば、僕は辛辣な言葉で彼女を傷付けて、自らの心も傷付けることしか、僕の中の彼女を殺す方法を知らなかった。

  別れの時間はそれから程なくやってきた。
  僕の言葉をすべて飲み込むと、彼女は顔を上げて時計を見て、
「ごめん、そろそろ時間」
と言った。僕は小さくため息をついて、
「ああ、わかったよ」
と返事を遅らせた。
  彼女は手に持っていたレポート用紙を丁寧に折り曲げた。
「これ、貰ってもいい? 私、今まで自分が人からどう想われているか、こんな風に書かれたの初めてで、今、とても嬉しかったりするの」
  勝手に持って行けば、と言いそうになって押し黙り、とっさに首を横に振ってしまう。
「……そっか、残念だな。でも、最後に会えて、その文章を読めて本当に良かった。あの頃ね、私は自信を無くしてた。何の相談もなく彼が転職して東京を離れて、今まで私が思っていた彼はどんな人だったんだろうって、何もかもわかんなくなっちゃって……本当に勝手なんだけど、又くんと付き合っていろいろ話をするうちに、又くんの目を通して自分がどんな人間だかちゃんとわかったような気がした」
 僕は手を伸ばして彼女からレポート用紙を取り戻した。
「あと、自分の考えたことをちゃんと言葉に出来るってすごいことだと思うよ。私のことだけじゃなくて、又くんの考え方やこだわり、うん、あと男の人のダンディズムみたいなものも感じられてすごく面白かった。今、ふと思ったんだけど、これからもずっと書いて、いつかどこかで又くんが書いたものが読めるようになったらいいなって思った」
  そう言った後、彼女はテーブルの上に千円札をそっと置いた。僕は黙ってそれを見ていた。
「じゃあ、行くね」
  彼女は僕の返事を待たずに店を後にした。
  一人取り残された僕は、今、この胸に感じる痛みを噛みしめながら、その場でメモ帳を取り出して、自分の気持ち、彼女の仕草、この場の空気感など――忘れそうなこと、忘れられないこと、忘れてはいけないことを記録に残すようにひたすら書き連ねた。
  そして、彼女が言い残した最後の言葉が胸に甦った。

  こうして生まれたのが又三良のエッセイ。
  コンセプトは、小説作品では有り得ない現実感、ドキュメンタリーでは書けない妄想の世界、誰かに伝えるべく書かれた宛名のない手紙。それらが一つの言葉に集約される。
  四畳半ダンディズム。
  和洋折衷的な言葉の面白さ、四畳半という限定された空間とダンディズムという粋な男心のアンバランスな組み合わせ。我ながら秀逸なタイトルだとほくそ笑みながら、この時、僕は死ぬまで書き続けることを誓った。

 (了)
<メニューに戻る>
(C)Copyright matasaburo
CMYK